ハイヒールと野蛮、母のちいさな足について

わたしの母の足は小さい。

158cmのわたしと、ほとんど変わらない身長(159cm)なのに、母の足はわたしのものよりもずっと小さい。わたしは大体22.5cmか23cmの靴を選ぶけれど、母は21cmの靴を履く。

そして小さな足は、ずっと昔から母の自慢だった。

 

小学生の頃、成長とともに上履きがキツくなり、新しい上履きをねだるわたしに母はよく言っていた。自分は我慢したのに、と。

足が大きくなるのが嫌だったから、どんなに痛くても自分は我慢して小さな靴を履き続けていたのに、あなたはまったく我慢が足りない。

幼い頃からの我慢の甲斐があって、身長の割に小さいままの自分の足を誇らしげに見せながら、母はわたしの忍耐力の無さを嘆いていた。

 

美しさのため、可愛らしくあるために痛みに耐える母と比べて、たしかにわたしは我慢が足りなかった。

母にそんな風に言われてもなお、わたしは新しい上履きを欲しがったし、キツくなった靴を我慢する気はさらさらなかったし、そんな我慢をすることに価値を感じることもできなかった。

だからわたしは成長するにつれて母の足の大きさを追い越したし、断固として高いヒールのある靴しか履こうとしない母とは真逆に、ヒールのある靴をほとんど履こうとしなかった。

 

反抗的な気持ちがあった訳ではなくて、単純に、歩きづらかったから。歩きやすい方がいいと思ったから。母に言わせれば、慣れたらヒールがない方が歩きづらいそうだが、我慢の足りないわたしはそもそもそんな境地に達するまで耐える気もなかった。

だって、靴擦れさえもわたしは我慢できなかったのだから。母は可愛い靴であれば、靴擦れしようが履き続けたけれど、わたしはすぐに嫌になってしまう。だって痛いのは嫌だから。そうして楽な靴ばかり履くわたしに、母は呆れ返っていた。でも痛いのは嫌だったのだ。

それから母は細く引き締まった足を保つために歩くスピードは早く、階段では必ず爪先立ちで登るけれど、わたしは歩くスピードも遅いし、階段も爪先立ちで登ったら転んでしまいそうでちょっと怖かった。わたしはそんなに早く歩けない。だって疲れてしまうから。それは嫌だったから。のんびり歩く方が好きだったから。

母の言う通り、わたしはまったく我慢が足りないのだった。

 

 

高校生になる頃には、足の成長なんてとっくに終わっていて、小学生の頃母に「我慢が足りない」と詰られながら新しい上履きをねだっていたこともすっかり忘れていた。忘れていたのだけど、でも高校生になって、世界史の授業を受けている時、ふと思い出した。

それは中国史をやっていて、「纏足」というものの紹介を受けた時だった。

纏足とは、かつて中国で女性に対して行われていた風習である。幼い頃から足が大きくならないように足に布を巻きつけて、足を変形させてしまう。纏足をされた女性は、大人になっても小さな足のままで、ヨロヨロと覚束ない足取りで不自由に歩く様が「愛らしい」とされていたのだと、その授業で習った。

 

その話を聞きながら、わたしは母のことを思い出したのである。

小さな足で頼りなく歩く様を「愛らしい」と賞賛する感性は、痛みに耐えて小さな上履きを吐き続けた母のそれと、よく似ているように思えた。

もちろん纏足された女性の足と母の足は違う。母の足は単に小さいだけで、あからさまな変形と言えるほどのものではないし、ヒールを履いていても母はヨロヨロと歩くわけではない。むしろヒールのない靴を履いているわたしよりも歩くスピードは早い。走ることもできる。そういう意味では、纏足とは全然違う。

 

だけど根本的なところがよく似ているように思えたのだった。

授業の中で紹介される「纏足」に「怖い」「訳がわからない」と反応している友人たちを見ながら、痛みに耐えて小さな靴を履き続ける母の姿は、現代の纏足のようなものじゃないかと思ったのだった。

幼い頃は特になにも思わず受け入れていたけれど、そこにはちょっとした、いびつさのようなものがあるのではないかと。

 

 

母とヒールと纏足のことをもう一度思い出したのは、大学生になって、リリアン・フェダマン『レズビアンの歴史』を読んでいた時のことだった。

 

たいへん分厚いその本は、20世紀のアメリカにおけるレズビアンについて書かれた大著で、歴史の流れが網羅的に書かれていて、フェダマンの語り口はわかりやすくて、とっても良い本だった。

20世紀を通じていろんな運動や変化があったけれど、成功したものもあれば失敗したものもあって、でもフェダマンはいつも物事の良い面も掬い取るように書いていた。いささか「過激」すぎて支持を得られなかった運動も、それがあったおかげでより穏健な主張が受け入れられやすくなったのだ、みたいな、そんな風に語るフェダマンが好きだと思った。

 

フェダマンのその本の中には、女性だけのコミュニティに関するこんな逸話が出てくる。

抑圧的な家父長制からの解放を目指して設立されたそのコミュニティでは、家父長制に由来すると考えられるどんなものも拒絶された。

たとえば支配的で一方的なセックスはダメで、相互的で愛情に満ちたセックスでなければいけない(バニラ・セックス!)。あるいは、恋人を排他的に所有しようとするモノポリーもダメで、互いに愛は分かち合わなければいけない。兎にも角にも所有と支配はご法度である。なぜなら家父長制的なので―――とまあ、そんな風にあらゆるものが拒絶され、拒絶されたものの中にはハイヒールも含まれていたという。

機能性がまるでないその靴は、家父長制の「道具」と呼ばれて拒絶された。

そんな調子でありとあらゆるものが拒絶され、最終的に男性支配の家父長制から逃れようとしたそのコミュニティの成員メンバーの外見は、逃れようとしたところの支配者たる「男性」みたいなものになったという、ちょっと滑稽で哀しい逸話。

 

その逸話の中に出てくる、ハイヒールを家父長制の道具と呼んで拒絶した女性たちのその様が、母の小さな足を現代の纏足のようだと思った高校生の自分と重なって、たいへん印象に残ったのだった。

 

その時も今でも、母の小さな足と纏足に共通点を感じた自分を間違っていたとは思わないし、ハイヒールを家父長制の道具と呼んで拒絶した人々の気持ちも実によくわかる。

そしてそれは確かに間違いではないと思う。小さな足を、頼りない足取りを、たとえばすぐに逃げ出せないような不自由さを「愛らしい」と感じる感性が、家父長制とほんの少しも関わりがないなんてことはありえない。

だけど同時に、わたしたちのあらゆるものがこの社会の中で作られているのであって、どこからどこまでが「抑圧」の結果で、どこからが「個人の自由意志」なのかを綺麗に分けることはできないのだと、わたしはフェダマンを読んで思ったのだった。

 

その分けられなさに耐えがたさを感じる人はもちろんいる。なぜなら、自分を苦しめる当のものによって自分がある種形作られているなんて、考えるだけで苦しいことだから。できることなら綺麗に切り分けてしまいたいから。

だけどそれはできないのだと、フェダマンの逸話は語っている。

 

 

女性らしさとみなされるものが、抑圧と押し付けと身勝手な理想化の結果だとしても、それを全て拒絶した結果導き出されるのは「男性らしさ」と今みなされるものでしかない。

そんなものは単なる裏返しに過ぎない。それはただの落とし穴である。

 

でも、だとすると抑圧や押し付けや身勝手な理想化の結果ではない「女性性」それ自体とはなんなのか? 考えたところで、それは本当に突き止められるものなのか? 抑圧や押し付けや身勝手な理想化とまるで関係のない「女性性」は存在するのか?

そんな疑問が湧くけれど、それは多分あまりにも「綺麗に分けようとしすぎる」からこそ生じる疑問なのだと思う。だからたぶん、原因と結果を綺麗に分け隔てて考えるのをやめて、プロセスそれ自体をもっと行為遂行的なものとして捉える必要があるのだとわたしは思う。物事は単純ではないので。

 

小さな足を、ハイヒールを女性に強要する社会は間違っているとわたしは思うけれど、小さな足を誇る人を、ハイヒールを履くのが好きな人を「間違っている」と断罪するのもまた違う。

とはいえ「小さな足を誇らしく思うこと」は、「頼りなく小さく可愛らしくあること」を女性に望む社会規範と完全に無縁ではあり得ない。

だから「小さな足を誇らしく思うこと」「ハイヒールを履くこと」は結果としてあるタイプの偏見を助長してしまうかもしれず、規範を再生産することに繋がるかもしれない。でも個人的には、別にそれをやめるべきと思わない。

なぜなら好みや欲望がどんな風に形作られようと、それを実際に生きて行為していくのはその人自身に他ならないのだから。形成された好みや欲望を引き受けて生きていく人自身が好きなように振る舞えばいいと、わたしは思うから。

 

それがどんな文脈を持った行為か、どんな意味を持ちうる可能性があるかを踏まえて、でも別の意味を込めて自分はそれをやるのだと、そう言って行為するのだとしたら、むしろ望ましいのではないかとさえ思う。行為が持つ意味は不変ではないから。常に変わり続けるものだから。

意味を塗り替えることが本当にできれば、そんなに素敵なことはない。

 

 

ところで、小学生の頃は自覚していなかったけれど、わたしはたぶん、新しい上履きをねだるたびに「我慢が足りない」と詰る母に、すこしうんざりしていたように思う。

反抗心から出たものではなくて、ただ自分がそうしたいからしているのだと思っていたけれど、わたしの歩くスピードが遅いのも、今もヒールがある靴を全然履かないのも、母に対する無意識のうんざりした気持ちから出ていたものかもしれなかった。

でもそれと同時に、高いヒールを履いてわたしよりずっと早いスピードで歩く母の姿は素敵だった。小さい足はたしかに可愛らしかった。美しさのためならあらゆる痛みに耐えることができる、と誇らしげに語る母を、たまらなく愛らしいと感じていた。

うんざりしながら、でも素敵だと思っていたのだ。本当に。