ミッドサマー感想メモ

※ネタバレ全開10分感想メモ

 

ミッドサマーがネタではなく本当にある種の人にとっての救いであり癒しになる映画なんだなと思ったのは、主人公のダニーは彼氏の浮気を知って吐いて泣き喚いていて、そこでコミュニティの女性たちが彼女と共に泣き喚くシーンを観た時だった。あれは紛れもない救済で癒しだった。

すとんと胸に落ちるようにおもった。よかった、ダニー、あなたと一緒に泣き喚いてくれる人がいて、本当によかった、と。


なにしろ彼女ははじめから不安を抱えていた。

ダニーは、物語のはじめから家族に問題があり、不安を抱えていて、彼氏に頼らずにはいられなくて、けれども頼りすぎて嫌われたらどうしようと怯えていた。そしてそんななか、妹と両親が死んでしまうという本当に大きな悲劇に直面してしまったのだ。


ダニーが直面した悲劇はあまりにも大きくて、頼りすぎて嫌われたらどうしようなんて言ってる場合じゃないほど大きくて、誰かの助けを心底必要としていて、なのにまさしく「あまりに大きな悲劇に直面した」というその事実によって、ダニーは彼氏をはじめとする「普通」の人々には避けたくてたまらない「厄介」な人になってしまう。

彼氏のクリスチャンは思いやりこそあれど本当はダニーを持て余していて、ずっと前から別れたいと思っている。でも別れられない。それは愛や優しさというよりは、単なる優柔不断のように思える。

クリスチャンは根本的にはダニーの気持ちをわからなくて、彼女ほど大きなトラブルを抱えていなくて、彼氏の友達はもっとあからさまにダニーを鬱陶しがっている。
だからダニーはいつも大声で泣き喚きたいのを堪えて、ひとりでトイレにこもったりひとりでみんなのところから歩みさったりして、手で口を覆って声を押し殺して泣いている。

 

だけどあのコミュニティでは、ダニーと共に笑い、ダニーが泣いたら共に泣き喚いてくれるひとたちがいたのである。

彼氏の浮気を知って吐いて泣くダニーに、コミュニティの女性たちは囲むように寄り添い、彼女の声に合わせて泣き喚く。

それまで彼女の周りの誰もしてくれなかった、でも彼女にとってきっと何より必要だったことを、コミュニティの女性たちはしてくれたのだ。


最後、コミュニティに受け入れられたダニーは彼氏と文字通り永久に決別することを選ぶ。

彼女はこんもり生茂る花のなかで、燃え盛る神殿を、かつての彼氏を、置き去りにしてきた世界を眺めている。

眺めている彼女はあからさまに取り乱して泣いたりはしていない。だけど彼女のそばで、コミュニティの人たちはひどく取り乱したように体を大きく使って怒るような泣くような仕草をしていた。

思うのだけど、たぶん、ダニーもみんなのように振る舞いたかった。

どうにもならない想いできっと、怒ったり泣いたり地団駄を踏んだり、思い切り外に発散するように、トイレにこもって口を手で覆うように泣くのではなくもっとあからさまに泣いたりしたかった、だからその通りにしている人たちを見て彼女は救われるし、彼女はもう二度とトイレで口を押さえて泣く必要はないことを知って笑うのだと思う。最後のシーンのダニーの微笑みは当然なのだ。

もうひとりで泣く必要はない。本質的にどうしても寄り添うことのできない人たちの中で、厄介者であることを知りながら気づかないふりをして自分を押し殺す必要もない。ダニーにとってずっと必要だったものがようやく与えられた。よかった。本当によかった、ダニー。